相ノ木氏のルーツは戦国時代にさかのぼり、越前の守護大名一乗谷朝倉氏の一族の流れをくむとされる。また、天文年間に武田家の家臣となるが、武田勝頼の自刃後、故郷の小曽原に戻ったとも伝わる。江戸時代以後は庄屋を務め、名字帯刀を認められるなど、格式の高い上級農家となり、幕末には福井藩主松平春嶽から葵紋入りの火鉢が下賜されている。茅葺きの建物は、様式から18世紀前半頃のものと見られる。また、建物正面に、重厚な長屋門が設けられているなど、随所に高い格式をうかがわせる。現在、公開はしていないが、威風堂々とした長屋門と黒板塀を道沿いに眺めることができる。長屋門は開口部が神明神社に向くように配されていることにも注目したい。